注目の投稿

高石神社に行きました ~延喜式神名帳に載る由緒ある神社~

こんにちは。
今日は、高石市にある「高石神社」に行きました。

高石神社は、延長5年(927年)にまとめられた、延喜式神名帳という当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧にものる、由緒ある神社です。
創建は、白雉元年(650年)とされ、これは元号としては、大化の次の元号になります。
祭神は、少彦名神・天照皇大御神・熊野坐三社。

また、由緒によると「王仁」という、千文字と論語を伝えたとされる伝説上の人を祀っていたとあります。
王仁は、高志という百済系渡来人氏族の祖とされています。
余談ですが、大阪岸和田市の久米田池や大阪狭山市の狭山池など、今も残る治水設備(若干位置など変わっているかもしれませんが)を作ったり、困窮者の為の社会事業を行ったり、教科書にも載っている奈良の東大寺の大仏を作る実質的な責任者だった『行基』は、お父さんが高志才智で、王仁の後裔になりますね。

昔は「たかいし」ではなく、「たかしの」神社と読んだようです。
※式内社に記載のフリガナはタカシノ。
住所が高師浜であり、昔は白砂青松の美しい海岸の中に神社がありました。
高師浜は万葉集にも読まれた、歌枕にもなる名勝地です。

毎年10月に行われる高石市の「だんじり祭り」で、だんじりが宮入する神社の一つでもあります。
他、大鳥羽衣浜神社・等乃伎神社


神社入口です。
入口右には「式内○社 高石神社」と書かれた石柱があります。
右の面には、
明治三十九年三月廿五日為日露戦後記念南北高石村出征軍人○(○は読めない)
と書かれています。


左手に手水舎があります。
※左の狛犬の後ろ

手水社の床のコンクリートには、犬のものと思われる足形がついています。
結構歩き回ったみたいです。


右には、高石神社の簡単な紹介の立て札(高石市が、市内のいろいろな場所に説明用に設置している)があります。
正確な日本地図を作った伊能忠敬さんも、近くの葦屋という宿屋にきたとあります。


本殿に向かう途中に、八坂神社など末社5社が合祀された場所と
※5社:八幡神社・八坂神社・春日神社・船冨神社・彌栄神社

由緒が書かれてたものがあります。
祭神は、少彦名神・天照皇大御神・熊野坐三社 です。

由緒略記
高石市高師浜四丁目一番一九号鎮座
(元 和泉国大鳥郡高石村と云う)

式内社 高石(タカシノ)神社
祭神 少彦名神
   天照皇大御神
   熊野坐三社

創祀の歳月確かならず、或は云う、白雉元年なりと。
(平成四年を隔る千三百五十年前也)。
醍醐天皇延喜の御代、制式の小社に列し、堀河天皇の御代、寛治年間(平成四年を隔る九百年前也)社殿の再建あり。国内神名帳に云う、従五位上高石大歳社、高石倉立社と見ゆ、今天神と稱す。
(式社考に載る)。
今の社殿は、寛永十二年(平成四年を隔る三百五十年前也)の再建なり。和泉名所図絵には、高志の祖、王仁を祀ると記せり。或は、往古境内に王仁を祀る一社ありしにやあらん。
昭和九年九月二十一日関西地方を襲える稀世の風水害に遭遇し、被害甚大、巨木倒壊し、社殿を損い、昭和十年十月十二日改築復造営起工をなし、昭和十一年五月十五日竣工遷座祭を斎行す。
昔、逍遥院三條実隆高野参詣の途次、この社に立寄り、高師浜の松原の下、天神社の前に輿を立て、「袖の上に松吹く風やあだ浪の高師の浜の名をも立つらん」
実隆(逍遥院高野紀行に云う)
境内には、小倉百人一首、裕子内親王家紀伊の詠まれたる、
「音に聞く高師の浜の仇浪は かけしや袖のぬれもこそすれ」
の碑あり、高さ七尺、巾四尺の自然石ぶて苔蒸せり、従三位富小路貞直の筆なり。
老樟の下に石玉垣を周らしたる碑あり。
白河鳳凰熊野権現御拝所と記せり、紀州街道熊野詣の途次ならん。

末社五社あり
八幡神社  八坂神社  春日神社
船冨神社  彌栄神社
新井神社相殿として合祀す。
例祭十月六日
氏子は一区より九区までなり。

と書いてあります。


奥に進むと、由緒ありげな松と、

本殿があります。

神社の紋が入ったもの。花菱系統の紋です。
本殿の左右にあります。

2018年9月の台風の後、木々や道路沿いの石の柵(?)が倒れていたのですが、きれいなっていて安心しました。

====================
高石神社
所在:大阪府高石市高師浜4丁目1-19
アクセス
南海高師浜線 高師浜駅から徒歩約2分
南海本線 高石駅から徒歩約12分
====================

ここまで読んでいただきありがとうございました。

ガーデニング初心者ランキング